考古学ブログ: Ours! 近江貝塚研究会

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カテゴリ:◆たぶん役立つ 考古学情報 > 04 活路を開く 論文・書籍展望

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こにゃにゃちわ。今回は、ドラッガー師匠のマネジメント論はやっぱり面白いっていう話をちょろっとします。

 この春から異動して、滋賀県立安土城考古博物館内の安土分室っていう、“ショムニ”っぽいところに配属されました(遊びに来てね♪)。で、久しぶりに電車通勤。いま改めて読み継いでいる本が、ドラッカー師匠の名作シリーズ。先週からは〈非営利組織の経営〉を熟読中。

 P.F.
ドラッカー2007 『非営利組織の経営』ダイヤモンド社 244頁 1800円+税

 師匠の著作を初めて読んだのは、数年前、母校の非常勤講師として〈博物館経営論〉という講義を始めたとき。〈博物館経営論〉って、普通は博物館学の延長でやるのかも知れない。けれども私にはちょっと違和感があって、逆に経営論から博物館を見たらどーなるのだろう、と思って読み始めたのがきっかけ。

 もちろん経営学部卒やバリバリの〈経営者〉、あるいはコンサルの方々からしたら、そんな手の出し方叱られるかも・・。でもね、ドラッガー師匠のマネジメント論はやっぱり面白い。だって、つまるところ、〈愛〉の話なんだもん。師匠の定義で言うならば、経営=顧客を創出し続けること。つまり、師匠の話で通底するテーマは、〈いかに愛され続けるか?〉。これって、人類普遍のテーマだから、経営学だけに押し込めておくのは、やっぱり勿体ない。ビジネスマンや経営者だけのモンじゃないでしょ、マネジメントって。たぶん。

 民間企業だろうが、政府だろうが、病院だろうが、地方自治体だろうが、非営利団体だろうが、マネジメントなしで、〈愛〉され続けることはない。そして、〈愛〉され続けないものに、社会的な役割はない。〈博物館経営〉でも、このあたりはやっぱり基本となる根っこの部分。憚りながらドラッカー師匠から学んだことは、博物館や公益財団の経営にもなるべく活かしていきたいとマジで思う。

 で、しつこいけれど。・・師匠のマネジメント論って、研究会の運営や個人の人生にも汎用可能。しっかり、自らのミッション(天命と言ってもいいかも)を見直し続けて、自分の活路がどこにあるのかを吟味する。そして、その活路の先で懸命になれるものをしっかり磨き、思いっきりそれを振る舞っていく。その反応をみて、その先へと転じていく。うんうん、やっぱり普遍的で共通する部分が多いわ。きっと。

 もっと早く読めば良かった思う本、あるいは40代で読んでおいて良かったと思う本の1つかも。少し時間が出来たら、改めて近江貝塚研究会についてもミッションを洗い直し、私なりの考えを述べてみますね。ではではー! (瀬口眞司)

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◇今回の〈論文・書籍展望〉は、市川彰さんの論文です。市川さんは名古屋大学高等研究院特任助教で、そのご専門はエルサルバドル共和国を中心としたメソアメリカ考古学。今回の論文は、中米考古学をはじめとする世界に目を向けた考古学を目指す皆さんに向けて書かれたもの。お役立ち情報がてんこ盛り。コチラからダウンロードできるので是非ご参照ください。→ http://www.kufs.ac.jp/ielak/pdf/kiyou14_04.pdf 以下、ご本人からの投稿記事です!

〈展望対象〉 市川 彰 2015 「メソアメリカ考古学における日本人研究者」『京都ラテンアメリカ研究所紀要』14号、51−72頁、京都外国語大学京都ラテンアメリカ研究所

 この拙稿は、大きく二つの読者層、①これから中米考古学を学びたい学生、②新大陸を含めた比較考古学的研究を考えている研究者の方々、を想定して書きました。

 ①については、学部生時代に「どうやって中米考古学を勉強すればよいのだろうか」と考えていた自分を思い出しながら書き始めました。今思えば、当時すでに色々な先輩方や先生方がいたんだなと思うのですが、当時はどうしていいのかわからなかった自分がいました。のちに修士・博士そして現在に至るまでにも多くの学生さんにお会いする機会がありましたが、同じような悩みをもつ学生、興味はあったのですが・・・という学生、がいたことを記憶しています。ですので、これから中米考古学を勉強したいと思っている学部生・院生に読んでいただき、ささやかながら皆様のお力になれたら嬉しい限りです。

 ②については、大学院生時代に「国内外のどこの雑誌に投稿すればいいのか(とくに国内)」と悶々としていたときに後輩たちと手分けして集めたがデータがもとになっています。調べて見ると日本全国に中米考古学研究者が散らばっていることがわかりました(当然といえば当然ですが)。研究テーマも時代も十人十色です。アジア・欧州・北米の事例との比較はしばし国内の雑誌でもみかけますが、これから中南米を含めた比較考古学的研究を展開したい方々の参考になれば幸いです。参考文献も比較的入手しやすいものを挙げております。

 何はともあれ、研究者として駆け出しの未熟者の自分にとっては、改めて学史をふりかえり、多くの先達がいたからこそ今の自分があるのだと再認識することができたことは収穫でした。


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さてさて、昨日の続き。琵琶湖周辺地域の縄文時代早期~古墳時代前期に集団規模の推移を問うておりました。論点は2つあって、Aの方は前回提示。今回は論点Bについての所見です。

 
 論点Bは、〈居住集団の規模〉の推移。1つの遺跡の居住規模はどのくらいか?1つの建物の居住規模はどの程度なのか?これらはどのような推移をたどるのか?こういった点を、居住遺跡における建物数や建物面積合計値の推移、建物面積の度数分布・散布状況からアプローチしました。分析結果は以下の通り。

⑤ 居住遺跡における建物数・建物面積合計値の分析では、Ⅱ・Ⅲ期(弥生時代中期前半)に拡大傾向の萌芽が見出せます。続くⅣ期を境として、中規模型の遺跡が増加していく傾向が見られ、Ⅵ期には中規模型・大規模型の遺跡がそれぞれより普遍化したようにみえます。

⑥ 一方、建物面積の分析では、9期(縄文時代中期後葉)とⅣ期に画期が見出せました。これらの時期を境に、より規模の大きい建物が出現する傾向が見て取れます。

⑦ 建物数・建物面積合計値を居住遺跡の規模とし、建物面積の大小が1つの世帯の規模をある程度示唆すると見なすとします。そうしたとき、琵琶湖周辺地域の居住集団の規模拡大傾向は、まず縄文時代中期後葉の9期に世帯の規模が拡大する形で萌芽したことが読み取れます。そして、Ⅱ・Ⅲ期に居住遺跡の規模がやや拡大した後、Ⅳ期以降に居住遺跡と世帯の規模の双方を更に拡大させる形で展開したと結論づけられました。


 
以上、結論部分だけ掻い摘んでお話ししましたが、詳しくは下記論文のとおり。グラフを多用しているので、テキストだけより見やすいかも。全国の都道府県立図書館や考古系の学科がある大学、埋蔵文化財センターなどに配本済みです!

 瀬口眞司2015 「縄文時代~古墳時代前期の集団規模の推移――琵琶湖周辺地域における先史社会の展開過程に関する覚書(1)――」『紀要』28 公益財団法人滋賀県文化財保護協会
 http://shiga-bunkazai.jp/%e7%b4%80%e8%a6%81%e3%80%80%e7%ac%ac28%e5%8f%b7%ef%bc%882015-3%ef%bc%89%e3%80%90%e5%9c%a8%e5%ba%ab%e6%9c%89%e3%80%91/

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新コーナーの〈論文・書籍展望〉。他人が書かれたイチ押しの論文・書籍や、ご自分が書かれた論文・書籍などを紹介して参ります。第1弾は恥ずかしながらの手前味噌。・・・果たして続くのか?

 展望対象: 瀬口眞司2015 「縄文時代~古墳時代前期の集団規模の推移――琵琶湖周辺地域における先史社会の展開過程に関する覚書(1)――」『紀要』28 公益財団法人滋賀県文化財保護協会

 まじめに申しますと、私の研究テーマの1つは、先史社会の展開過程を探ること。特に時期的推移や地域的差異の把握して、その比較から各々の文化的背景を浮き彫りにしていくことを目指してます。これまでは関西地方の縄文時代を中心にコツコツ検討。今回はその延長戦として挑みます。対象は琵琶湖周辺地域の縄文時代早期~古墳時代前期。A〈地域社会の規模〉とB〈居住集団の規模〉の推移を大検討。用いた資料は、当該時期の遺構が検出された遺跡、建物(竪穴建物・掘立柱建物等)などの数量です。

 これまでも当該地域の当該期には優れた研究がてんこ盛り。だけど数量的分析は未開発。ということで、数量的なアプローチにトライしました。長くなるので、論点Aだけひとまず紹介。論点Bはまた明日。

論点Aには、遺跡数、居住遺跡数と建物数、建物面積計値からアプローチ。ちまちまデータを集めたその分析結果は以下の通り。

     遺跡数・居住遺跡数は、Ⅱ・Ⅲ期(弥生時代中期前半)に顕著な画期を迎えて増加します。特に居住遺跡数の推移を重視するならば、以降はほぼ直線的に増加し続け、古墳時代前期まで一貫して増加したことが窺えそうです。

    この2つの数値に比べ、建物数と建物面積計値の増加期はやや遅れ、Ⅳ期(弥生時代中期後半)とⅥ期(古墳時代前期)に爆発的に増加します。

     建物数と建物面積計値が居住人数の推移をある程度示唆すると見なすならば、琵琶湖周辺地域の社会規模は、Ⅱ・Ⅲ期に居住遺跡数が〈拡散〉する形でまず増加し、その後のⅣ期とⅥ期に居住者数が顕著に増加する形で〈拡大〉したと推察されそうです。

      ただし上記の推察は、検出されにくい掘立柱建物の評価によって見直す必要もあります。この点は古くから指摘されていますがまだ困難な状態。その検討が今後の課題の1つとして残りました。

続きはB、これは明日のお楽しみ。

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